No.03 施設時代(1983-1990)
Part1 小学校高学年編
               
 
■親の決断、虚弱児施設へ

3年生になって、発作のほうが再びエスカレートするようになりました。相変わらず発作を起こし病院で注射をする回数が増えてきました。

そんな夏の日の夜、親がたまたまテレビで入院しながら鍛錬とかで喘息を治す病院があるのを見て当たったところ、東北地方内にもそう言う施設があると聞き、すぐに下見に行きました。

そこで、親は施設の指導員(先生と呼んでいた)から半年から1年で喘息が良くなると言う話しを聞き、僕自身も「それくらいであの苦しみとも別れられることを考えれば1年位は我慢できる」と思い、入ることを決意しました。これが結局6年半もいることになった施設時代の幕開けだったのです。

■田舎者にいじめられて

最近、いじめが原因で自殺する学生が増えているそうですが、自分もイジメにあった時期があります。施設に入って間もない小学校4年生の頃と、中学1,2年の頃です。自分が入っていた施設は近くの小中学校に通い、普通の学校生活を送るというシステムでした。なぜいじめられたのかは今でも分かりませんが、たぶん、彼らには街で育ってきた自分が憎らしく見えたのでしょう。また、発作を起こして授業を休みがちだったというのもあったのではと思います。

いじめの内容はひどいものでした。隣の図書室に呼び出して殴る蹴るは当たり前のこと、給食に対するイタズラとかとても思い出したくもない内容です。数あるいじめの中でもどうしても忘れられない事があります。

名前は忘れてしまったのですが、学校にあった遊具の中でちょうど傘のような形をしたつかまって回る物があったのですが、それに無理矢理つかまって思いっきり回されてしまい、遠心力で遠くまで飛ばされてしまったことがあります。もちろんケガをしました。左の頬にものすごい大きな擦り傷を作ってしまいました。もちろん傷跡も残り、数年間は消えなかったような気がします。

面会日で僕に会いに来た親もさすがに仰天してしまい、そのいじめの当事者に直接言ったようです。でも、彼は知らんぷりだったそうです。今考えてみると、いじめの事実を打ち明けられなかった自分も悪いと思うのですが、親代わりのはずの指導員の先生方、またそう言う事実があるのを知っていながら放置していた担任は何をしていたのだろうと、今でも謎に思うのです。

■パソコンに惹かれて

小学校5年から6年まで、通っていた小学校は男の先生が担任でした。(4年生は女性の先生) その先生というのは、アメリカへの留学経験を持ち、理科や数学、英語が得意と言った先生でした。

そして、あの当時としてはまだ珍しいパソコンが得意でした。今ではフロッピーディスクやMOが当たり前のように使われていますが、あの当時は、ハードディスクなんて言うのはなく、フロッピーのかわりにカセットテープに記録するという、信じられないパソコンが使われていました。(フロッピーはあったみたいですが・・・)

でも、ボクにとっては、強烈なインパクトがありました。パソコンを使ってかけ算九九や分数の問題(もちろん、分かっていましたのでお遊びで)を解いていくのが楽しかったです。6年生の頃は比較的楽しい生活を送れたと思います。そして、卒業を迎え、中学校時代−施設生活の後半戦に入っていくのです。

■施設時代前半のまとめ

小学校時代はイヤな思い出が多かったです。ボクは体育が嫌いだったので、出来れば授業には参加したくありませんでした。でも、体育に参加しないと、周りの人は「ウソ発作」とバカにして、ボクのことを仮病扱いしたのです!

これは施設に一緒に入園していた人にも言われました。仮病を使ったことは確かにあります。でも、それはいじめられるのがイヤで、学校に行きたくなくてやったことです。また、後で登場しますが、施設にいた指導員のK先生は、余りにも発作を起こす回数の多いボクのことを「根性なし」と呼び親にまで報告したのでした。 施設の実情を知らない親はそのK先生の言うことを100%信じ、親にまで怒られる始末です。

 
               
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