No.03 施設時代(1983-1990)
Part3 施設内生活編2
   
 
■帰省

施設にいたときは、普通の地元の小中学校に通っていました。そのため、夏休みや冬休みも当然ありました。休み中は海水浴やクリスマス会などの園内行事もありましたが、半分は家に帰ることが許されました(帰省)。

僕は帰省すると、とにかくあちこち行きました。駅前を散歩したり仙台に遊びに行ったりと、施設に閉じこめられていた時のストレスを発散していました。

しかし、帰省中に発作が頻発して、施設に戻されたこともあります。いつのことだったかは忘れましたが、帰省したとたん連日のようにひどい発作を起こしてしまい、親も見かねて施設に帰りました。しかし、他の人は帰省していますので、帰っても指導員が数人しか残っていませんでした。

そんな中で休みを過ごしたこともありました。

■退園式−思い出のアルバム

施設最後の日・・・退園式では「思い出のアルバム」を唄うのが恒例となっています。6年半の間、何度この歌を唄って退園者を送り出したことを思うと見当もつきません。自分より後に入った人がどんどん出ていく姿を見て「いつになったら自分は出られるのだろう」と何度考えたことか・・・

気づいたときには、自分より古い人はたったの2人しかいませんでした。入園したときは60人近くいたのに、たった2人です。しかも、後から入って先に出た人も大勢います。実際には100人以上の人が自分より先に出たのではないでしょうか?やっと自分の番が来ました。やっと家に帰れるのです。でも、うれしさはありませんでした。残っていたのは親元に帰れると言う安堵感だけでした。

♪今日は退園おめでとう!

思い出のアルバムで最後に唄う箇所です。今までは他の人に向けた言葉だったのに、今度は自分に向けてみんながかけてくれたのです。

実家に帰る車の中。今まで、この道を何度往復したことでしょうか?実家に戻るときはうれしさが、施設に戻るときは何とも切ない悲しさがありました。施設に帰るのが嫌で、「ひょっとしたら発作を起こせば戻らなくても済むのではないか?」と考えて「こんな時発作が起きれば良いのに」などと考えたこともありました。

でも、もう戻らなくても良いのです。いや、二度と戻りたくないと言った方が良いかもしれません。こうして、みずほの施設時代は幕を閉じたのです。

       
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